適応障害に至るまで – 私の経験から
誰もが「まさか自分が」と思うものです。
私も例外ではありませんでした。
日々の仕事をこなしながら、少しずつ、しかし確実に追い詰められていき、適応障害という診断を受けることとなりました。
今回は、休職に至るまでの経緯を振り返ることで、同じような状況で悩んでいる方への一助となればと思い、記事にまとめることにしました。
余裕のない日常
私の担当していた業務は、多くの人とのコミュニケーションが必要な職種でした。
やりがいのある仕事かもしれませんが、担当プロジェクトには様々な課題が山積みになっており、その解決に日々奔走する状況が続いていました。
朝は誰よりも早く出社し、昼休憩を取る余裕もないまま夕方を迎え、それでも仕事は終わらず、休日出勤も当たり前のような状況でした。
特に辛かったのは、クライアントからのパワハラまがいの態度です。
些細なミスに対しても厳しい叱責を受け、次第に自信を失っていきました。
周囲との比較による自己否定
オフィスでは、多くの同僚が遅くまで残業している光景が日常的でした。
私も決して手を抜いているわけではありませんでしたが、それでも帰る時に感じる後ろめたさは消えません。
「もっと頑張るべきなのでは」という思いが、常に心の片隅にありました。
しかし、どれだけ努力しても、その成果が適切に評価されることはありませんでした。
次第に「自分の存在価値とは何なのか」と考えるようになり、仕事へのやりがいを完全に見失っていきました。
身体が発するSOS
上記のような状況が続き、次第に身体的な症状が現れました。
日常的に頭痛が続くようになり、また、夜中に目が覚める頻度も増えていき、十分な休息が取れない日々が続きました。
そして、食欲の低下です。
今までは朝食をとっていましたが、朝食を食べる気になれなくなっていました。
精神的な変調
身体的な症状と並行して、精神的にも様々な変化が現れ始めました。
最も顕著だったのは、一日中、仕事のことが頭から離れないという状態です。
休日であっても、「月曜日には何か指摘されるのではないか」「あの資料は本当にこれで良かったのか」という考えが絶えず頭をめぐり、真の意味での休息が取れませんでした。
仕事の日の朝は特に辛かったです。
目覚めた瞬間から強い憂鬱感に襲われ、「今日も叱られるのではないか」という不安と恐れで、会社に向かう足取りは重くなる一方でした。
そして次第に、仕事以外の活動にも興味を持てなくなっていきました。
以前なら楽しめていた趣味も、ただ疲れを感じるだけ。
友人との約束もキャンセルすることが増え、社会との接点が徐々に失われていきました。
気づきと教訓
今、振り返ってみると、これらの症状は全て、深刻なストレス状態にあることを示すサインでした。
しかし当時の私には、それを客観的に認識する余裕がなかったのだと思います。
特に注意すべきだったのは以下の点です。
・ 休憩を取れない働き方が常態化していたこと
・ 身体的な症状を軽視していたこと
・ 精神的な不調を「気の持ちよう」で乗り越えようとしていたこと
どれか一つでも早めに気づき、適切な対処ができていれば、ここまで深刻な状態には至らなかったかもしれません。
最後に
この記事を読んでいる方の中にも、似たような状況で悩んでいる方がいるかもしれません。
決して一人で抱え込まないでください。
周囲の人に相談したり、必要であればメンタルクリニックなど専門家の助けを借りることも、立派な選択肢の一つです。(むしろ私は推奨します)
心と身体の声に耳を傾け、必要なケアを行うことは、決して「弱さ」ではありません。
それは、自分自身を大切にするための、賢明な判断です。